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目次 昔はなし
戦争を蔵で体験した大正生まれのおばあちゃんの昔話をまとめてみました。
当時使っていた道具などの写真も紹介。



おばあちゃんの昔はなし 昔の道具其の壱 昔の道具其の弐
おばあちゃんの昔はなし
まずはおばあちゃんの紹介

おばあちゃんの
生い立ち
大正8年生まれ。酒屋の小売店の8人兄弟真ん中の子供として生まれる

経歴 当時の幼稚園卒⇒小学校⇒高等学校⇒一年間花嫁修業⇒結婚

旦那様 当蔵3代目社長。やはり8人兄弟の二番目の子として生まれる。
当時、小売店兼宿舎を営んでいたおばあちゃんの実家へ泊まり、おばあちゃんを見初めて結婚。
おばあちゃんより7歳年上で、小柄で穏やかな人だったといいます。

お子様方 長女=近所の大家へお嫁に出す。次女=東京の小売屋へお嫁に出す。長男=当蔵現社長。次男=東京の大手建設会社勤務。
(昔の婚姻関係に力関係が見え隠れ・・・)

当時の酒造りの風景

蔵人 5人新潟から11月15日〜4月中旬まで来ていました。
越後杜氏さん達です。

女中 住み込みの女中さんが一人。蔵人さんの面倒をみていた。

今と違った
酒造り風景
当蔵は今は昼コシキといい、昼間お米を蒸します。しかし、当時は朝コシキといい、早朝からお米を蒸したのです。
その為、蔵人さん達は4時から作業を始めます
お米を蒸す釜に火をつけるのですが、当時はこれら全て薪とオガクズが原料でした。
お米が蒸しあがった後の熱湯を使って器具を洗う
半切りや樽を洗うのですが、当時は全て木製だった為、乾燥すると隙間が出来ます。これに熱湯をかけると木が水分を吸って膨張する為、隙間が埋まったのです。消毒を兼ねた昔の知恵といえるでしょう。
熱湯を掛けた大樽(仕込み樽約30石分)などをササラ(竹を細く割って掌サイズくらいのほうきのようにしたもの)で洗う。ギィギギーッと独特な音を立てながら。
この時、蔵人さんは「佐渡桶さ」や酒造りの歌を歌いながら作業していたようです。
おばあちゃんは、ササラの音と蔵人さん達が口ずさむ歌がとても心地よく子守唄のように聞こえたと言います。

今と違った
瓶詰風景
瓶詰ラインなどと言うものはなく、一本一本手作業で詰める。
瓶を何本か横に並べ、ホースでお酒を瓶へ流しいれ、適当なところでホースを摘んでお酒を止め、隣の瓶へまたポースで流し入れる。
レッテルなどは全て手作業で貼られた。
当時はアルコールを含むお酒が出始めた頃で、「メタノールは含まず」などというものも、貼った事があったらしい。

今と違った
小売店への出荷
九升樽(9升入る長細い樽)へ大おばあちゃんが枡で量って量り売りした。
小売店はこれを持ち帰り、店でお客さんに量り売りした。
小売店の旦那さんは自転車に九升樽ニ斗をを縛り、片道15キロ以上を往復していた。(ニ斗で約35キロ位はあったと思われる。)

戦争中の蔵

蔵の外装 白塗りの蔵を目立たないように黒く塗りつぶした。
(今では、白く塗りなおしたが、所々当時の面影が残っていて、社名も黒く塗りつぶしたままの上へ更に白塗りしたようなのだが、最近は塗装が落ちてきて薄っすらと社名が浮かび上がっている)

米不足 米不足になったが当蔵は一年も酒造りを休まなかったと言う。
が、当時は粕取り焼酎や、サツマイモ焼酎なども造ったらしい。
粕取り焼酎粕 粕と米の籾殻を混ぜ、4段の蒸篭で蒸し、上がった蒸留水が粕取り焼酎となった。
さつまいも焼酎 サツマイモを蒸し、サツマイモのデンプンを利用してモロミを造りサツマイモ焼酎を造った。

人材 戦争孤児や農家の子供を引き取り、自宅で酒屋の仕事を手伝わせながら育てた。
今でも、従業員として頑張っていてくれるおじさんがいます。

防空壕 日中、蔵へ来ている人が多かった為、全員入れる防空壕を庭に作った。
今は、駐車場になっている場所なのだが、おばあちゃんは防空壕を塞いだ後が、陥没する事がないかと気を揉んでいる様です。

おばあちゃんが振り返ってみて大変だった事

自分の子と
義理の兄弟が・・
お姑さんが子沢山で、おばあちゃんがお嫁に来た時にはまだ、4歳の義理の妹がいたらしい。
おばあちゃんは自分の子と義理の兄弟の面倒を一緒にみた。
幼かった義理の兄弟の結婚の面倒までみたらしい。

嫁とは 上下関係がはっきりしており、午前中は家中の柱や戸など、木で出来ている場所の水拭き掃除。午後は、義理の兄弟を始め家中の人達の縫い物をしていなくてはならなかった。

ご飯の用意 ・蔵人さんを始め家中のご飯を炊くのだが、やはり、薪や杉の葉で炊いた。
一度に炊く量は朝と昼の分で3升!
・夜は蔵人さんの夜食にうどんを茹でる。
・蔵人さんのご飯は箱善

農地解放 当蔵から見渡せる範囲は全て自分の土地だったが、農地解放に従い、破格の値で小作の方に受け渡す事に・・・
おじいちゃんは田んぼはダメだ、これからは山だ!といい山を買ったらしく、今管理だけが大変な山々が多数・・・「あの山は誰々ので・・・」と平然と会話をするこの家の皆様・・・

家計図


追記 ・二代目の社長はお婿さんでした。
子供に恵まれず男の子がいなかった初代社長夫婦が引き取った
新潟の親戚筋の方だったとか。
今で言ういとこ同士の結婚ですね。

・三代目の社長は、8人きょうだいで、三代目の社長が一人前に家を継げるようになるまでの間、歳の離れた長女が中継ぎとして家を治めていた時があったとか。
その後この長女の方はお婿さんをとり、新宅として家を出ました。
なので、今いる地域で同じ苗字は2件しかありません。
一般ではよく聞く苗字ではありますが・・・
(元々が新潟出の人なので)

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