『奈津の蔵』は、『夏子の酒』の続編で、夏子のおばあちゃんが主役のお話です。
昭和初期から、戦時中の蔵の様子が書かれており、昔の蔵の様子が垣間見れます。
奈津の夫は、吟醸酒を造る為に、村へ電気を引き、精米機を導入し、
当時では考えられない位に米を磨き、全国鑑評会への出品に挑みます。
失敗を繰り返しながらも、鑑評会で賞をもらえるまでになっていきます。
一方、奈津は嫁いできてすぐ、何も知らず、当時は女人禁制の蔵へ入ってしまいます。
その時から、奈津は酒造りに興味を持ち、義両親の反対の中、
酒造りの本を読みふける日々が続きます。
夏子の酒造りの情熱は、祖母である奈津譲りなのかもしれませんね(笑
今と違って、強い男尊女卑の時代の中、女の自己主張は認められず、
耐える事が美徳と言われていた時代。
女には穢れがあると言われ、蔵へ入る事も許されませんでした。
同じ人間で、まして同じ国に生まれていても男と女の違いだけで
女の自由は少なかったのです。
けれど戦争が始まり、男手が足りなくなると、『人手不足』と言う現実の前に
蔵へ女性が入る事が許されます。
女の穢れと言うものが一体なんだったのか語られないままに
時代の大きな流れに、何もかもが形を変えていきました。
戦争という大きな犠牲を払って
日本は成長したのかもしれません。
奈津も、戦争によって夫と娘を亡くします。
夫の最後の願いを叶えようと、女の細腕で蔵を守り抜きます。
物語が始まってからずっと奈津は、自分に与えられた運命を
自分なりに懸命に受け止めて自分の精神のギリギリのところで
生きていたように思います。
人生の中で、一番幸せな時間が
息子(夏子の父親)に蔵を任せ、孫達(夏子達)と過ごした時間だったという奈津。
蔵にいては、いつもいつも自分との戦いの中、休む暇もなく
夢中で生きていたのでしょう。
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私も奈津と同じく、日本酒の事などなにも知らずに蔵へお嫁に来ました。
奈津の生きた時代背景とは大きく違う中に生きていますが
蔵元の嫁として、自分の周りにいる友達と同じような生活を望んでも
私には手に入らないものとなってしまいました。
私は、奈津や夏子のように蔵の第一線の中で酒造りに携わったり
利き酒の能力に恵まれているわけではないですが
蔵で生きている限り、自分の出来る何らかの形で
日本酒の和を広げていけたらいいと思っています。 |
義祖母も、ちょうど奈津と同年代で、同じような歳に蔵元へ嫁ぎいできました。
もちろん蔵元へ嫁いで来てから戦争も農地解放も経験しています。
自分の子供も、年の離れた義兄弟もいる中で生活してきた人です。
奈津の蔵を読んでいて、私の中では、おばあちゃんと重なる部分が
沢山ありました。
先日、おばあちゃんに
『亡くなったおじいちゃんは、戦争へ行かなかったの?』
と、聞くと
『おじいちゃんは、背の小さい人で、健康診断でひっかかって、徴兵されなかったのよ。』
ということでした。
もし、亡くなったおじいちゃんがもう少し背の高い人であったら、
おばあちゃんも奈津と同じような苦労をしたかもしれません。
今、おばあちゃんは病院のベットで、奈津の蔵を読んでいます。
おばあちゃんに奈津の蔵を読んでの感想を聞くと
「私も、このお話と同じようだったのよ。精米機を買って、近くの蔵元さんと三軒分を精米した
り、木の大きな仕込み樽から、タンクへ変わっていったりした時代。
蔵人さんの仕込み歌も随分聴いたわね。
お嫁に来た当時は、義妹がまだ4歳で、なかなかなついてくれなくて。
住み込みのお手伝いさんもいたし、囲炉裏もあった。
戦争中は、男手がなく、やっぱりそれまでは入る事が許されなかった蔵へ初めて入ったわ。
女が蔵の中にゴザを広げて、蒸米を運んで冷ましたり・・・。」
そんなおばあちゃんに、私は聞いてみました。
「おばあちゃんは、当時を思い出した時、楽しい思い出と辛かった思い出、
どっちを思い出すの?」
少し考えてからおばあちゃんは
「・・・辛かった事かなぁ。女は男に、家に、従わなくてはならない時代だったから・・・。」
奈津がそうであったように、おばあちゃんも一線を退いてからの方が
幸せだったのかな・・・
女に、『女らしく』ある事を強いていたのは「蔵」ではなく、「時代」だったのかもしれません。
現代においての、『女らしさ』とはどういうものなのでしょうか?
少なくとも、男に、家に従順な事を言うのではないと思います。
分かっている事は、今の女性は、多くの自由を手に入れ、
強く逞しくなった事は事実だと思います(笑
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